|
|
|
乾燥イモづくりは明治時代末から |
 |
宮崎報恩会編集発行の『那珂湊の歴史』によると、茨城県における乾燥イモづくりの始まりは明治41年(1908)で、湊町(旧那珂湊市の中心部)からおこっている。
当時の生産の先進県は静岡県だが、湊町の湯浅藤七という人物が煎餅製造業を営むかたわら家内的に製造を始め、当時の金額で300円を販売したのが最初としている。
これを見て湊町で刻み昆布製造業を営む宮崎利七が湯浅を静岡県へ派遣、さらに静岡から技術者を招くなどして大規模な乾燥イモ製造所を造り、収益をあげた。
その後、これに倣って製造する者が増えたという。
当時、乾燥イモは日露戦争の時、将兵の食糧に用いられたことから「軍人イモ」あるいは「軍事イモ」と呼ばれ、乾燥イモ生産の先進地は静岡県、愛知県であった。
さらにさかのぼった歴史について、茨城県農業総合センター主任研究員の泉澤直さんは、財団法人いも類振興会発行の『いも類振興情報』18号「茨城の干しいも・過去・現在・未来」の中に記している。
そこでは明治44年に出された「静岡県特種産物調査」を引用、乾燥イモは静岡県地方で江戸時代後期に生産が始められ、明治時代後期には有力な商品作物となっていた、とある。
その静岡県と茨城県との結びつきに重要な人物として、明治40年1月から41年10月まで茨城県知事を努めた森正隆がいる。
当時、知事は官選の時代で、森は茨城県に赴任する前、静岡県の各部長を歴任していた。
昭和10年代前半に書かれた大内地山著「前渡郷土誌」(未刊行、『勝田市史料W』所収)に、この森知事と乾燥イモ(同書は「切乾甘藷」と表記)のことが記されている。
大内地山は、現在のひたちなか市阿宇ケ浦町に生まれた水戸学者だが、地域の経済振興などにもいろいろ尽くしている。
同書によれば、森知事と大内とはじっこんの間柄で、明治41年のある日、大内は森から乾燥イモの製造業普及について協力を要請された。
大内が調べたところ、サツマイモは茨城県産が最も甘味を帯び、南へ行くほどエゴ味が含有されるため、茨城県内で乾燥イモを製造すれば、その品質は最上のものになる、という結論を得た。
そこで大内は、実兄の小池誠司に製造を勧め、同年秋から製造がはじめられた。
この経過を森に話すと、森は静岡から技術者二名を呼んでくれたといい、茨城県内における乾燥イモの生産は湊町を中心に盛んになった。
その後、サツマイモの栽培に適さない東北地方や北海道に生イモに代わって品質良好の茨城県産乾燥イモを移出すれば、輸送が簡便になるうえ地の利も得ているから本場の静岡県と戦争しても勝てる、と小池は考え、実行。
そして同書は、乾燥イモの茨城県産の産業としての計画的創始は「誰れが何といはふと小池誠司であると信ずる」と記している。
これに対して『勝田市史料W』は解説に、「しかし、小池の製造創始は個人レベルでのことであった」と記し、前渡村(現在のひたちなか市馬渡・長砂・足崎・阿宇ケ浦町)で乾燥イモづくりが盛んになり、産業として発展したのは、前渡村長の大和田熊太郎の力に負うところが大きかった、とみる。
同解説によると、大和田は前渡村の村長兼農会長を長く務め、明治42年(1909)には農業の副業とすることを考え、静岡県磐田地方の乾燥イモ製造を視察し、その後、那珂郡農会に熱心に勧奨。
同農会は明治44年に視察員を静岡に派遣して製造方法と販路を調査させ、また技術指導者を静岡から招くなどして、大和田とともに乾燥イモの製造普及に努める。
さらに、大和田の熱意と努力によって生産は年を追って増大し、その結果、前渡村では湊町をしのいで乾燥イモづくりが盛んになったという。
また大和田がまだ村長兼農会長の職にあった大正9年(1920)、「前渡村甘藷蒸切干製造組合」が設立され、同13年には二町五村にまたがる「那珂郡甘藷切干販売組合」の結成に至る。
このような経過に触れたうえで同解説は「経済条件の変化によって純農村的性格に転換を迫られた前渡村に積極的に特産農業を導入普及し、農業の構造改善に成功した大和田の功績は大きかった」と記している。
同解説によれば、当時の乾燥イモ(同解説は「切干甘藷」と表記)の主用途は、澱粉およびアルコールの原料となっている。
この場合のサツマイモ(甘藷)は生切り干しであり、それと区別するために食用の名称と思われる「甘藷蒸し切り干し」も使われていることから、当時乾燥イモは澱粉、アルコール原料用と食用のものとが、ともに生産されていた、とみられる。
ひたちなか市長砂には大和田熊太郎家が存続し、子の博さんと孫の邦朗さんが家族と住んでいる。
かつては大和田家でも乾燥イモづくりをしていたが、今は酪農中心になっているという。
付近には今も乾燥イモの干し場が点在し、近くの共同墓地に、昭和38年に旧前渡村村民有志らが建てた「大和田熊太郎翁頌徳碑」がある。
|
| ※参考文献:藝文風土記 |
|
|