水戸黄門様

2017/12/05

浜喜の干しいものパッケージには水戸黄門様がプリントされています。水戸光圀公は現代でも日本中でその名を知られた水戸藩のお殿様で、「水戸黄門」や「黄門様」の通称の他、「義公」「子龍」「梅里」などのお名前があります。水戸藩の第2代藩主で、徳川家康公の孫にあたります。水戸市周辺には黄門様ゆかりの場所が点在していて、現代の私達もその足跡を辿ることが出来ます。今回は光圀公ゆかりの地をちょっとだけご紹介いたします。
 


【西山荘】(せいざんそう)


常陸太田市に所在する光圀公の隠居所です。「国の史跡及び名勝」として指定されています。光圀公は、ここでかの有名な「大日本史」の編纂に尽力し、亡くなるまで過ごしました。茅葺き平屋のその佇まいから光圀公が華美を嫌い、質素をモットーとしたことがうかがえます。(現在の建物は元々の建物が火事で消失した後、文政2年に再建されたものです。)



【瑞龍山】(ずいりゅうさん)


こちらは常陸太田市瑞竜町に所在する水戸徳川家累代の墓所で、「国の史跡」に指定されています。光圀公が初代藩主の徳川頼房公の遺志を受け継ぎ、ここを墓地と定めたものです。日本では珍しい儒教形式の墓所になっています。もちろん光圀公もこちらに埋葬されています。しかし残念ながら現在は一般公開はされていません。



【水戸城跡】


徳川御三家の水戸家のお城跡は、水戸駅のすぐ近くにあります。水戸空襲などを経て今はお城の姿はありませんが、「薬医門」(茨城県指定有形文化財)は水戸第一高等学校に移築され残っています。水戸城全体があった敷地は現在では高校、中学校、小学校、幼稚園などの教育施設が立ち並んでいます。現在の姿もある意味では、学問に力を入れた水戸らしいと言えるのかもしれません。



【彰考館跡】(しょうこうかんあと)


光圀公が設立した「大日本史」を編纂するための研究所で、元は江戸にあったものが後に水戸城中にも設けられました。水戸彰考館は1906年の「大日本史」完成をもって閉館となった後、水戸空襲を経て、現在は跡地の水戸市立第二中学校前に石碑が立っています。



【常磐神社】(ときわじんじゃ)


こちらの神社は光圀公を祀った神社です。(徳川斉昭公も祀られています。)水戸市の中心部と偕楽園に程近く、観光スポットとしても人気があります。明治の頃まで時代が下ってから建てられた神社ですので、光圀公がこの神社を見ることはありませんでしたが、光圀公とその業績を偲ぶのにぴったりのスポットだと思います。


もし機会がありましたら、ぜひ水戸黄門様の足取りをたどってみて下さいね。 

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